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キアヌと彼のバイク会社のことや、自分の興味のあることを気ままに書いています。

キアヌのお父さん、サミュエル・リーブスさんが亡くなられたようです。キアヌとお父さんの関係の複雑さはファンの方なら皆、そうでない方も家庭環境が複雑だったのはなんとなく知っているのではと思います。

キアヌに限らず、極端に強い(現実的な)親と弱い(繊細な、もろい)親を両親にもつと、独特な思考回路ができあがります。感情の振り幅が半端ありません。ふとしたことで死にたくなってしまう気持ちも理解できるし、天下をとれるような気持ち、というより自分はそうでもしない限り存在価値がないのではと考えたりもします。強い方の親に育てられた場合は(必然的にこうなることが多いです)表面上は多くの”まともな”人達にまぎれて、あまり問題なく成長しているように演じられます。

けれど成長すればするほど、真の自分とのギャップが抱え難いものになってきます。

ふつうなら怒らないようなことで怒り、傷ついたり、逆に心に響いた言葉ひとつでずっと多幸感にひたれたりもします。

自分の感情をもてあまして、”動じない”でいられる多くの人達と関わるのが恐怖で苦痛に感じてきます。人一倍自分を理解してほしいのに、自分を肯定して満足して生きられる人達とはお互い理解しあえることはないからです。

自分は脆い人間だとひらきなおって、わかりやすく社会的弱者でいれる勇気もありません。いつも”弱いほう”の親がどれだけ人生で損してきたかを考えて、そういう風にだけは生きまいともがいているからです。

まわりに理解者は皆無です。世の中親切で善良な人はたくさんいますが、それと自分が理解されて自分も相手を理解できることは別物だからです。

なにがいいたいかというと、常にキアヌは最上級に孤独だったということです。報道されてるとおりなら、キアヌはお父さんと長年会ってなかったようです(もしかしたら公になってないだけで、交流はあったのかもしれないですが) 両親がどんな性質だろうと、一番影響が大きいのは本人の生まれもった性質だと思います。最高に強い感受性をもって生まれたキアヌという存在が、これまた複雑な環境のなかでますます孤高の存在になった(なってしまった)のだろうと思います。

キアヌの他の身近な大切な人達が亡くなったときもそうでしたが、キアヌはなかなか自分の哀しみを露わにはできないと思います。なにも感じてないかと思えるような振舞いで自分を保つのではないかと思います。そうでもしないと内部の崩れおちそうになる自分にのみこまれてしまうからです。

【本当の理解者】はもしキアヌが泣こうがわめこうが、キアヌのことを誤解したりはしません。まわりがそんなことを思っていなくても、キアヌはいろんなことを自分のせいだと思いながら生きてしまっているはずです。その面倒くさい性質は生涯変えられないでしょう。でも私は、そんなキアヌだからこそ一生応援していけると断言します。

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